青いジャージに夢と誇りと情熱をのせて

 NAKAJO BLUE の夢・誇り・情熱・想いは後輩に、そして子供たちへ

 新潟県胎内市をホームタウンとする「中条ジュニアラグビースクール」。1997(平成7)年に」設立されて以来、そのブルーのラグビージャージは選手たちとともに歩んできました。途中で細かいモデルチェンジを経て、今でも選手たちと一緒にグラウンドに立ち続けています。

 中条高校でのラグビーの歴史は、1980年頃にルーツがあります。

 当時はまだ中条高校にラグビー部はありませんでしたが、数学の教師として赴任されていた山田一裕先生が放課後、グラウンドに有志を集めてラグビーを教え、その素晴らしさを伝えられました。その後間もなく中条高校にはラグビー部が誕生し、寺尾政宏先生のもとで県内屈指の実力をつけるほどとなりました。

 中条高校ラグビー部誕生

 創部からわずか数年の1988(昭和63)年秋、中条高校は花園への出場権を懸けた県予選の決勝で強豪の新潟工業高校と対戦。その試合で中条高校の選手が身につけたのが「ブルー」のラグビージャージでした。

 

 このラグビージャージは前年の1987(昭和62)年、「決勝では新しいジャージを…」と、ジャージを新しくすることが決まった時、当時のラグビー部の皆さんが一生懸命アルバイトをして購入したもの。その時、中条高校のラグビーが目指すフランスの「シャンパンラグビー」を具現するものとして「ブルージャージ」「ホワイトショーツ」「レッドストッキング」が選ばれました。

 そしてこのジャージは、

 「県大会の決勝戦にのみ着用するジャージ」

と決められ、中条高校ラグビー部の夢と誇りと情熱がこめられました。

 

 この昭和63年の花園予選決勝戦は、ノーサイドまで勝敗の行方がわからないほどの接戦となりましたが、惜しくも勝利を逃しました。

 ただ、その戦いぶり見事なもので、この試合のテレビ中継で解説をされた、当時の新潟県ラグビーフットボール協会会長の関根彰円氏をして、

 

「新潟県高校ラグビーのベストゲーム」

 

と評されほどです。そして中条高校ラグビー部の戦いぶりは鮮やかなブルーのラグビージャージとともに多くの人々の心に残り、今でも名勝負の1つとして語り継がれています。また、この決勝戦で主審を務められたのは、奇しくも中条高校でラグビー部創設以前にグラウンドで生徒にラグビーの素晴らしさを伝えておられた、あの山田一裕先生でした。

 中条高校のジャージのブルーには、この他に

 「精一杯の練習をした後だけに見ることのできる、清々しい青い空を選手に感じてほしい。」

という、歴代指導者の想いもこめられています。

 

 このように多くの想いや情熱を込められたブルージャージは、その後も中条高校ラグビー部のファーストジャージとして受け継がれました。

 

 そして1997(平成9)年、中条高校ラグビー部OBをはじめとした有志によって「中条ジュニアラグビースクール」が設立されます。

 その時、ジャージの色として中条高校と同じブルーが、そしてストッキングやラグビーショーツの色も中条高校と同じ赤と白が選ばれたのはある意味当然のことと言えるでしょう。

 そこには中条高校ラグビー部の夢と誇りと情熱を引き継いでほしいという願い、そしてラグビーに真剣に取り組んでほしいという指導者の想いが込められました。その願いや想いを込められたブルージャージは、現在も子供たちとともにグラウンドで躍動しています。

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